空想科学月姫  〜その2〜






 暗い森。逃げまどう俺を追いかける影。

「はははーっ!待て!志貴!!」

 背後からの声に、俺は振り向く事さえ許されない。

 走り去る視界、その木々には赤い剣。

 暗い森は串刺しにされた木々で溢れかえり、その光景は、どこか異国の処刑場のように、思えた。

「死ね!!」

 ドスッ……!!

 体を貫いた赤いモノと一緒に、俺は吹き飛んでいた……。




 コン。

「……うわぁっ!!!」
「きゃっ!!」

 地面に叩き付けられようとした瞬間、俺は目を覚ました。
「え……」
 突然の世界の変貌に驚いたが、しばらくして、ようやく今置かれている状況を思い出した。

 教室。そして目の前には……

「知得留……先生?」

「もう、お約束みたいにチョークぶつけられた位で、大きな声出さないでくださいね。ビックリしたじゃないですか」
「あ……」
 顔面が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。周りはどっと笑い出し、知得留先生から目を反らすと、有彦がニヤニヤとこちらを覗いていた。

「はい、では遠野君も起きたところで、授業を始めますよー」

「きりーつ」
 そう言って、隣の席の秋葉が号令をかけた……?
「秋葉……?」
 何とも間抜けな声だった、と自分でも思う。だって、学年の違うはずの秋葉がここに……
「どうしました、兄さん?」
 秋葉は当たり前のように答える。
「だって、ここ、俺達の教室……」
「ええ、「私達」の教室ですよ」
 秋葉は笑顔で答えるが……
「いや、だっておまえは学年が……」
「兄さん」
 唐突に、秋葉の表情が真剣なモノに替わる……が、すぐに穏やかな顔に戻って
「これは夢ですから、何だって有りなんですよ」
「……ユ……メ?」
「そう。だから、今から起こる事も全て仮説ですから、鵜呑みにはしないで下さいね」
「……ああ」
 口ではそう言ったものの、まったくワカラナカッタ。でも、夢だと言う事にしておいた。教室を見渡して、知得留先生に翡翠に琥珀さんに弓塚にネロ造に晶ちゃんと、これがいつものメンバーだと言う事に、一応の納得をつけた。

「誰かひとり、足りないような……」

そうして、今日の午後の授業は始まった。

「はい、本日の化学の授業は特別に、生物化学の分野から、素敵なゲスト講師をお招きしてますよー」
 着席すると、知得留先生は楽しそうに切り出した。
「はい、それでは四季先生、どうぞー」
「なっ……!?」

 ガラッと、教室のドアを開けて現れたのは……
「四……季……!!」
 俺は思わず立ち上がりそうになった。さっきまで対峙していた相手が現れたのだから。四季は平然と教壇に立つ。
「お、志貴か。相変わらず威勢だけはいいみたいだな」
 ニコニコと笑う四季は、そう言えば見た事がなかったかも知れない。その表情に俺は何を言うべきかを忘れてしまっていた。
「あら、四季先生、遠野君とお知り合いなんですか?」
「ああ。ちょっとした関わりがありましてね」
「へぇ、そうなんですか。意外ですねー」
 そんな訳がない。俺は四季を……

 そうか……これは……ユメか

 もう、考えるのも嫌になった。夢である事で全て片付ける事にした。

「では、本日のテーマは、四季先生の血の剣についてです」

「みんなからの質問に答えながら、順番に明らかにしていくぞ」

「せんせー。そもそも、血で剣なんて作れるんですかー?」
 有彦が早速遠慮無い質問を浴びせる。
「良い質問ですね。まずはそこから行きましょう」
そう言って知得留先生は、黒板になにやら螺旋模様を描き始めた。

「乾君、剣って材質は何ですか?」
「そりゃぁ、銅の剣とか、ミスリルソードとか、オリハルコンやらビームサーベルやら有りますけど、一般的には鉄でしょ」
 なんか、ゲームのやりすぎだと思うぞ、有彦。
「そうですね。では、血液と鉄の関わりについて、何か分かりますか?」
「うっ……」
 うろたえる有彦。
「はい、じゃ説明します。人間には体重1キロあたり、平均して75ミリほどの血液が流れていると言われています。四季先生、体重は?」
「うむ。私は少し痩せ形だから、ここでは分かりやすく、体重60キロとしておこう」
「では、ここから単純に四季先生の体内に流れてる血液の総量がわかりますね?翡翠さん?」
「はい、4500ミリリットルです」
翡翠は電卓を片手に、正確に答える。
「正解。では、血液を構成する主な物質4種、言えますか?」
「……はい、赤血球、白血球、血小板に血漿です」
「ご名答。では、赤血球の主たる役割は?」
「酸素を体中に運ぶ事です」
「そう。その時に使われる物質が、今回の血の剣に関わるのですよ、皆さん」

 一瞬、教室がざわつくが、生物はお任せの弓塚さんが声を上げる
「ヘモグロビン、だね」
「そうだ。人間の赤血球には、ヘモグロビンという物質がある。これには鉄が含まれているのだ。その鉄が、酸素と結びついて体中に巡っているのだぞ。動脈の血が赤いのは、鉄が赤く色を示すから、という訳なんだ」
 四季先生が替わって説明を続ける。
「へぇ…。じゃぁ、そのヘモグロビンを使って剣を作ったんですか?」
 俺はここまでで導かれる結論を、率直に質問する。
「残念だな志貴。ちょっと違うぞ。ヘモグロビンはタンパク質だからな」

 四季先生は、知得留先生の書いた螺旋模様を指し示しながら続ける。
「重要なのは、この中の鉄だ。ヘモグロビンの分子量は約64000。その中に鉄原子はいくつ含まれてると思う?」
「え?」
 流石にそこまではわからなかった。役割しか知らず、実際の化学式などよく考えたら見た事もなかったから。
「まぁ、流石にこれは難しいか。答えは……」
 そう言って、四季先生はわざとらしく間を置いた。皆、先生の次の言葉に集中する。
「4つだ」
「4つ?それだけ!?」
 正直驚いた。体中にくまなく酸素を運んでいるから、もっとたくさんあると思ったのに……
「この螺旋状の円が集まった中心部分、4箇所に鉄が鎖体として含まれている。じゃぁ志貴、鉄の分子量は?」
「えっ……」
 慌てて教科書の元素周期表を読む。
「55.8です」
「だめだぞ、これくらい主要な分子量は覚えておかないと。じゃぁ、これでわかる事がある。ヘモグロビン中に含まれる鉄原子の割合だ」
「えっと、1分子に4つの鉄原子だから……」
 電卓を叩く。
「えっ!?」
「どうした志貴、答えてみろ」
正直、こんな値が答えとは思えなかったけど、電卓が壊れているはずないから……

「約……0.34%です」

「正解だ。ちゃんと自身持って言えよ、合ってるんだからな」
 少ない……
「でだ。ここでもう一つ重要な数値がある。血液中のヘモグロビンの量だ。これが意外に多く、1デシリットルあたり15グラムだ。つまり、俺の体内には4500ミリリットル、つまり45デシリットルだが、45×15で、675グラム近いヘモグロビンがある。さぁ、これで血液に鉄はどれだけあるか分かるぞ」
 そう言って四季先生は俺の方を見た。つまり俺が答えろという事だ。
「675グラム中の0.34%は、と……!?」

「に、2.295グラム……?」
「お、正解だ」

 少なすぎる。明らかに少ない。1円玉2枚と大差ないって……
「そんな、全身の血液かきあつめて、これっぽっちしかないんですか?」
「考えてみろ。体が鉄で出来てる人間なんていないだろ、こんなもんだと思うのが普通だ」
「いや、でも先生はこれで剣を……」
「作ったさ」
 さも当たり前のように、キッパリと四季先生は答えた。

「作ったって……」
「志貴、おまえ俺の剣を見て、どう思ったんだっけ?」
 フラッシュのように、出来事が蘇る。

 深い森。突き刺さる剣。びちゃりとしたたる血液。

「確か……厚さが存在しない、カッターの刃みたいに単純で、卒塔婆のような長さの……!?」
「どうした?」
「厚さ……!!」
「お、気付いたみたいだな。そう言う着眼点は流石かもな」
 ニコニコと、四季先生は剣の絵を赤チョークで黒板に描く。
「さて、これが俺の作る剣だ。卒塔婆とはいかにも志貴らしい表現だな。ちなみに、卒塔婆の寸法は10センチ×100センチだとしよう。問題は厚さだ。ここでは単純に、2.3グラムの鉄で、どんな厚さの剣が出来るか計算だ。知得留先生、必要なデータを」
「はいはい、四季先生〜。いいですか皆さん、鉄の密度は1立方センチ当たり7.87グラムですよ」
 みんな一斉に計算を始める。しばらくするとあちこちから様々な反応が出る。驚く者、笑う者。計算に手間取って、俺は答えが出ないまま、只焦るだけだった。
「はい、大体終わったみたいですね。では秋葉さん、厚さは?」

「はい、0.000003メートルです」
「はい、正解です」

「んな?」
 知得留先生と秋葉は、さも当たり前のようにやりとりするが、そんな小さな数字、言われても想像が付かないんですけど……
「分かりやすく説明し直しましょう。0.000003メートルは、3×10のマイナス6乗、つまり3マイクロメートルになります」
「先生!そんな薄さはアリなんですか?」
「一般に、熟練の職人は、1滴の金を畳1畳分の金箔に延ばす、と言われています。その厚さは10000分の1ミリ、つまり0.1マイクロメートルです。四季先生の剣は、それより30倍も厚いのですよ」
「まぁ、アルミホイルが厚さ15マイクロメートルだから、それの5分の1の厚さしかないけどな」
 しれっとそんな事を言う2人の先生達。
「あのー、どっちもぴらっぴらで、剣としては使えそうにないんですけど……」
 俺の当たり前のツッコミを無視して、四季先生は続ける。
「しかも、これは血液中の全鉄分を1本に使用した場合だ。実際俺は少なくとも何十本もの剣を投げている。それぞれの厚さは推して知るべし!」

 ガク。

 俺、そんな剣で殺されようとしてたんですか……

「もうちょっと、真っ当な厚さには出来ないんですか?」
 弓塚さんが、質問を投げかける。
「よし、じゃぁ仮に同じ鉄量で志貴の言う通り、カッターナイフの刃の「厚さ」にするなら、どのくらいの「長さ」になる?」
「カッターナイフの刃、持っている人〜?」
 弓塚さんの問いかけに、晶ちゃんが替え刃を手渡す。

「10枚組で、約4ミリ。という事は1枚は0.4ミリですね。という事は……厚さを133倍にしないとダメだから、長さは133分の1にっと……7.5ミリ!?短いっ!」

「そう言う事だ。結局、卒塔婆のような外見にするには、縦横を重視して厚さを犠牲にするしかない訳だ。そうでなければ133人分の血を集めるしか無い、と」
 自慢げに四季先生は語る、が何だか間抜けな会話だ。

「更にだ」
「更に?」
「体中から鉄が無くなれば、どうなる?」
「どうなるって……ヘモグロビンが働かないから、酸素が全身に運ばれないわけであって……死なないか?「死ね!」言っておいて自分が死んじゃダメだろ」

「そうだな、鉄分が不足して全身に酸素が行き渡らなくなり、体に失調を来すのが貧血だ。つまり1発投げたら即重度の貧血状態!体には血液中の鉄量の半分位の鉄分が貯蔵されてるとはいえ、もう1発投げたら、厚さ半分の剣が飛んで、俺は全身鉄不足!!普通ならそのうち死ぬな」

「じゃ、何で生きてたんだ?」
「簡単だ。俺は体を「作り替えた」んだ。ヘモグロビンが無くても酸素を供給するメカニズムが俺の体の中には備わっていた、ということだ」
 成程、四季の能力って、そんなところで役に立っていたのか……。世の中上手くいってるんだな、と感じた。

「あの〜先生」
「何ですか、乾君?」
 有彦が手を挙げる。
「血で作った氷の剣って、考えないんですか?」

「却下です」
 知得留先生は、にべもなくそう言い放つ
「でも、現実的に考えればその方がいいと思いますよ。独自に計算したけど、卒塔婆で厚さがカッターと同じなら、体積は40立方センチで済むから、血の密度が1と近似しても110本は作れるのに〜」
「却下だ」
 四季先生も、なんだか機嫌悪そうに言ってる。その雰囲気に気押されながらも、有彦は続ける。
「だって、血液を凍らすって事は、血から熱量を奪う事なんだから、「略奪」に共通点があって、秋葉ちゃんと流石兄妹だなとか思ったりしたんですけど、ね!ね!?」
「そういうことは……」
 二人の先生の声が重なる

「却下です!」
「却下だぁ!!」
「あの人は兄さんなんかじゃないです!!!」

 ドガァァン!

 有彦は、激怒する知得留先生の剣と四季先生の剣、そして何故か髪を真っ赤にしている秋葉の略奪を喰らい、教室の外へ吹っ飛んでいった。
 素晴らしいコンビネーションだった。僅か一瞬の間に、秋葉が檻髪で有彦を捕らえ、空中に持ち上げる。そこに四季先生の剣が直撃、更に斜め下から打ち上げられた黒鍵が有彦を直撃、鉄甲作用でぶっ飛んだ、という訳だ。俺も七夜の血が無ければ、何が起こったか見えなかっただろう。その位の速さでの出来事だった。
 このトリオ、一瞬でそこまで目配せしたのか……敵には回せないな、そう思った。

 大声を上げた3人はしばらく怒りの表情を向けていたが
「……コホン……まぁ、それは現実的過ぎますからね」
「そうだ、作者も最初はそう考えたが、あまりに普通だったから断念したんだぞ」
 先生方2人は体裁を整えながら少し恥ずかしそうに釈明した。そして隣の席では……
「私の「兄さん」は、兄さんだけですからね(はぁと)」
 と、秋葉が恋する少女の目をしてこちらを見つめていた。先程のアレは何だったんだ、と言いたい変わり様だ。
「秋葉、俺の妹よ〜!!」
 あ、また四季先生がコワレタ。