宿題、予習、復習。


 心地よい疲れ、至福の時。
 横たえた体がまるでこのまま深淵に沈み込んでいくような感覚。
 こんな時間を迎えて、ただ何も考えずに身を任せている。
 そして、そんな俺の左手は、サラサラと指を零れ落ちてゆく柔らかい髪を撫で、その感触にほんの少しのむずがゆさと、たまらなく愛しい想い。
 この髪は、自分のそれではなく……隣で一緒に気怠さを味わっている人。

「くすぐったいよ、志貴君」

 その声に、俺は自然に微笑みが浮かぶ。
 ほんの十センチの距離で俺の方を笑いながら見つめる姿は、とても自分より年上だとは思えない。
 少女の可愛さ、それなのに大人の美しさを兼ね備えたような、俺にとってはちょっと年上のお姉さん。
 少しだけ我が侭で自堕落で、なのに優しくてしっかりしていて、時には怒ったりもするけど、その一つ一つの仕草が無性に嬉しい。
 それは、今俺が誰よりも大事にしている、たった一人の人。

「いいじゃないですか、朱鷺恵さん。もっと触らせて下さい」

 俺は、その手を朱鷺恵さんの髪から離さない。
 それよりも、朱鷺恵さんを抱き寄せて自分に密着させ、その温もりと香りを自分だけのものにしてしまおうとする。

「もうっ……ふふっ」

 朱鷺恵さんは「仕方ないな、志貴君は」という顔で、結局俺の我が侭を許してくれる。
 俺の胸に頭をもたげ、この情景には忌々しい俺の傷を指でなぞって、しっとりとした表情。
 そんな朱鷺恵さんの儚げな表情を見つめながら、俺は言葉にならない喜びを感じていた。
 出来る事ならば、この人を独り占めしてやりたいと声高に叫びたい。この一瞬を、忘れる事が出来ないよう、何かに詰め込んで鍵を掛け、いつまでも閉じこめてしまいたい。

 無言のまま、ただ愛しい人の髪を撫でて時を過ごす、この瞬間はただ、それだけでお互いの全てが伝わっているような気持ちがして、流れゆく静寂に身を任せるのみだった。

「……くくっ」

 触れば触る程、朱鷺恵さんの髪は俺の指の間からスルリと抜け、毛先の触れる感触が自然に笑いを呼び起こしてゆく。髪を触らせてくれるのは云々と勝手に解釈すると、それも当然かなと思ってしまうからだ。
 なんだか、勢いでこの髪をくしゃくしゃとかき回してしまいたいむず痒さに似た衝動に駆られるけど、絡まりも知らない様な髪に傷を付けてしまいそうで、ただただ触るだけに留めておく。

「……志貴君、なんかおかしいね」

 朱鷺恵さんはそんな俺を見て不思議そうにするが、とっても幸せそうな顔をしてくれて、許してくれているのが分かる。
 肩口に伸びてきた手がきゅっと俺を引き寄せ、朱鷺恵さんの柔らかい体が俺に触れた。髪に触れる動きに併せて微かに揺れる胸に、少しだけドキドキとしてしまう。

「……ねえ、朱鷺恵さん」
「なあに?」

 どれくらいそうしていただろう、何て言うか、僅かに残っていた火種が少しずつくすぶり始めてきたような感覚。

「もっと……知りたいです」

 ちょっとだけ遠回しに、本当の気持ちを声にする。
 ただ体を求めたい、と言う訳でなくて、朱鷺恵さんの全てを自分の体に染みつかせたい、そう言う気持ち。
 じっと朱鷺恵さんを真剣に見つめて、それが張り合いだとか口説き文句だとかじゃないって分かって貰いたい。
 朱鷺恵さんは、そのことばをゆっくり飲み込んでいくと、こくりと頷いて

「……うん」

 それだけだった。
 返答はたった一言だけど、そこに全てが集約されていると感じる。

「……私の事。志貴君の事。もっと、もっと……」

 たまらず、きゅっと抱き寄せた。
 触れ合った胸から、互いの心音がとくとくと聞こえるように。
 朱鷺恵さんは無言で顔を埋めると、首筋に優しくキスをしてくれた。
 同じように、朱鷺恵さんのおでこに、髪にくちづけ。
 信じられないくらい純粋に、そうしていた。

「……ねえ、志貴君」
「何ですか?」

 今度は朱鷺恵さんが俺を呼び止める。

「どんなことが、したい?」

 それは、無邪気な言葉なのに、ひどく妖艶な言葉だった。

「志貴君がそうしたかったら、いいよ……」

 ちょっと恥ずかしそうに、朱鷺恵さんがうんと言ってくれたから、俺はちょっとだけお願いした。

「えっと、その……改めて『朱鷺恵さんの初めて』が欲しいなあって……」

 興味があった事を口に出すと、改めて恥ずかしいものだと思う。

「?」

 朱鷺恵さんは、俺のそんな言葉に意味がさっぱり分からない様子だった。
 俺自身、この雰囲気に見合った表現が思い浮かばないのだから仕方ないのだが、分かって貰えなかったのはちょっとだけ残念だった。まだまだ修行と愛が足りない、と思えばいいのか。

「初めてって、え……?」

 朱鷺恵さんはきっと初めての時の事も思い出したのか、不思議恥ずかし、といった表情を見せた。
 俺はそんな朱鷺恵さんを……まじまじとは見られなかった。言葉をより具体的なものに換えてもう一度言うのは、さっき以上に恥ずかしい。

「その……出来れば、もうひとつの方の初めてを……」

 ちっとも具体化されてない言葉だったが、そこで朱鷺恵さんは理解できた、と言うよりしてしまったようだった。

「あ……」

 驚き、顔を真っ赤にしてしまう。そして、俺の肩に寄せられていた腕が、さっと朱鷺恵さんの臀部に回った気がした。

 そう、つまりそう言う事で。
 自分から能動的に、朱鷺恵さんの初めてが欲しくて。興味も凄くあったし。自分がそこまで許されてるのかなっていう、ある種『賭け』でもあった。

「う〜……」

 朱鷺恵さんは、そんな俺を少し変なものを見るように睨め付けていた。
 朱鷺恵さんにその知識があるか知らないけど、やっぱりそっちでしたい、なんて言うのは変態なのかな? 視線を感じる内に大分不安になってしまった。
 時間の進みが重苦しい。さっきまでのねっとりとした気怠い微睡みによる流れの遅さとは全く逆の、緊張にまみれての遅さ。一つ唾液を飲み込むまでの長さが、無限にも感じられた。

 やっぱいいです、今のは忘れてください。

 これ程の重圧に、自分の発言を後悔しそうになった時、

「……いいよ」

 絶妙のタイミングで、朱鷺恵さんが恥ずかしそうに小さく声を発していた。

「え?」
「だから……その、あげるって……意味」

 唐突のことについ聞き返してしまった俺に、朱鷺恵さんは顔を真っ赤にしながらごにょごにょと言う。

「あ……」

 もっと嫌がられてしまうかと思っていただけに、言った自分なのにちょっと驚いてしまった。
 そして、段々と言葉を反芻し、その意味を下していく内に、じわじわと喜びが溢れてきてしまっていた。

「よかった……」

 俺はそう呟くと、脱力した。

「でも……志貴君の、えっち……」

 朱鷺恵さんはやっぱり俺を見ると、複雑な表情を浮かべた。
 ああ、何だか一緒にいるのに微妙に距離を感じてしまう。
 しかし、男っていうのは自分の願いが聞き入れられると結構正直で、満足感でいっぱいだった。

 そうして気が付くと、純粋な愛しさや緊張感から解放されてしまったくせに、こうして朱鷺恵さんと抱き合っていたから、昂ぶってきてしまった。

「朱鷺恵さん……」

 俺は色々我慢できなくなって、朱鷺恵さんを抱きしめた。
 その行動に、朱鷺恵さんは一瞬驚いて体を離す。

「ちょ、ちょっと待って、志貴君」

 珍しく慌てて、朱鷺恵さんが否定する。

「?」
「良いって言ったけど、でもね、女の子には色々準備が必要なの……」

 ああ、そうか。
 きっと、いきなり実践されると思ったんだろう。
 ……図星だったけど。

「だから……慌てないで」
「?」

 俺を拒否してしまった事を謝罪するかのように、朱鷺恵さんがゆっくりと俺の頬に、首筋に、キスをした。

「ゆっくり、ゆっくり始めよう? 志貴君なら、分かってくれるよね?」

 胸、臍、そして……

「は、い……」

 そう答える前に、朱鷺恵さんの指が、口が、俺の下半身に触れていた。
 やがて、先端は優しい朱鷺恵さんの暖かさに包み込まれ、幹と袋とはほっそりとしたいくつもの感触に優しく愛撫されてゆく。

 そうして……俺はこの日何度目かの絶頂を、朱鷺恵さんの口の中で迎えていた……

 




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